【最適解に至る】
思惑が一致している。
同じ目標に向かって協力する場合にはそれは上手く作用するだろう。
しかし同じ目標に向かっているとお互いに知っていない場合は協力のしようがない。
つまり一致しているのに上手くいかない≠ニいうことは往々にしてあるわけで。
目の前の男と私については今まさにそういった状況であった。
「ん? どした?」
リビングに入ってすぐ、家主――獅子神の態度に違和感を覚えた。そして覚えた拍子に普段より少しだけ素早く合わせられた視線がその違和感が正しいことの証左となる。
獅子神はバレてないよな? と書いてあるとしか言えない顔をしていたので、内心呆れてしまう。私が気付いたことには気付くことが出来るのに、誤魔化すのが下手過ぎる。
恋人の前で多少気が抜けているとは言え、もう少し上手くやれんのか。知らないフリもいい加減面倒だというのに。
大体、見慣れないものがリビングテーブルの上にあるのだから反応しない方がおかしいだろう。
今のでむしろ、それ≠ェ今日のキーアイテムだと宣言されたも同然だ。
「なにがだ?」
「いや? 気のせいならいいんだけどよ」
あからさまにほっとした獅子神の横を通り過ぎ、いつもの席につく。長時間座ることの多いこの席に機能性の高いクッションが置かれたのは恋人同士となってすぐのことで、もう随分前のこと。
獅子神は私が座ったことでこれ=\―DVDについて触れなかったことが不自然だったと気が付いたのだろう、今度はマズイと顔に書いてある。忙しい男だ。
「落ち着いて話せば良いのでは?」
「そうか? じゃ、ちょっと先にそれ見てていいから」
「ああ」
気付いて欲しくないことには気付いていませんよ、というポーズを取ってやれば獅子神は再びわかりやすく安堵してさっさとキッチンへ引っ込んだ。
多少の違和を感じているだろうが墓穴を掘るよりはマシ、言葉少ないやりとりはそういった考え故だろう。その考えは正しい。違いない。私相手に言葉を重ねるということは情報を提供するに等しいのだから。
だが、私をこの場に放置するということは情報を収集する機会を与えることになるので然してかわりない。
獅子神がコーヒーと茶請けを手にやってくるまでの数分。それだけあれば十分だ。
テーブルの端に綺麗に重ねられたDVDは三枚あった。手元に寄せて確認してみると、どうやら全て過去に話題になった映画のようだ。
動物たちの冒険譚、派手な演出が見どころであろうアクション系、ミステリーかサスペンスものだろうと思われるパッケージ。獅子神の趣味で集めたものではない。そもそも映画鑑賞なぞに興味もないだろう。
確かこの家にはシアタールームがあったので、仕事上の話題にしようと有名どころは観ているかもしれないが、娯楽として楽しむほどではないに違いない。つまりこれらは獅子神自身のために用意されたものではない。
しかし同時に、私のために用意されたものでもない。私は映画鑑賞が好きだと言ったことはないし、この中のどれかを観てみたいと言ったこともないからだ。
けれど三枚あるのは私のため。私が少しでも興味のありそうなものを選べるように。
全て新品なので、獅子神はこのDVD≠ヘまだ観ていない。けれど映画自体はどれも観たことがあるに違いない。あの男の性質上、間違いなく。
映画鑑賞は言わば導入。恋人が早々に飽きてしまうようでは計画が導入の段階で頓挫することになる。だから少なくともどれも退屈はしない内容なのだろう。
――なるほど。獅子神のシナリオはこうである。
何らかを新調したシアタールームの具合を確認するためにこの中の一つを観ようと提案し、私に選ばせ、実際に観る。そうして観終わる頃に私に手を出し、なし崩し的に性交に至る。
ああ、ようやく。ようやく獅子神の覚悟が決まったのだ。
それにしてもまだ真昼間だというのに。獅子神のこういう、腹を決めたときの思い切りの良さは好ましい点の一つだ。
今日だとわかっていたなら私の方も準備≠してきたというのに、とは思うが仕方ない。そんなことよりも待ち侘び続けた臆病な恋人の決意こそ尊重したい。
そう、獅子神の思惑など当然知っている。し、私も同じ気持ちなのだ。お互いに欲情を感じていて、体を重ねたいと考えている。
しかし臆病者である件の男がどんなきっかけで逃げ出してしまうかわからないので、基本的には男の方からこちらへ近付いてくるよう誘導し、私の方からは極力慎重に距離を詰めてきた。
そうして涙ぐましい努力の果てに、最近では獅子神の方から濃いスキンシップを取るようになってきた。
私に忌避されること、恐怖させることを恐れてそれはもう恐々と近付いてくる恋人に、何度焦れて掴まえてしまおうと思ったことか。
けれど内に秘めていた、もしくは元来強くない肉欲がついに表出してしまう程にあの男の恐怖や戸惑いが薄れてきたのだ思うと、それだけで報われる気持ちである。
私との性交を意識し始めた頃からこの家の各所に避妊具――いや、同性間では目的が異なるので具体的にコンドームと言うべきか――を隠し置いているのも知っている。
それにしてもマヌケだ。備えあれば憂いなしとは言うが、あちこちにコンドームを隠し置いておくなど正気の沙汰ではない。ほぼ同時期から常に衣服に忍ばせている私も人のことは言えないが。
ついでに隠し置かれているコンドームのメーカーもサイズも確認済みである。私の性器のサイズとは合わないし、そもそも知るはずもないので獅子神に合わせたものだろう。
そのことからも獅子神が抱く側≠想定して準備しているのがうかがえる。想定内だ。あの美しい顔と体格だけでも十分に異性から引く手数多であったであろうし私の方が華奢であるから、抱く側≠フ方がイメージしやすいに違いない。
数時間後には受け入れるところでない器官を受け入れるために使うであろうことを思うと一抹の不安を感じないでもないが、待ち侘び過ぎてもはや性交の際のポジションなど些末なこと。
不満があるとすれば、多くの人間が見たであろう光景だということだけ。しかしそれも、他に自分しか見られない姿があるであろうことを考えれば許容できる。
初めての同性との性交だ。私の様子を慎重に観察しながらおっかなびっくり触れてくるだろう。つまり主導権は私が握ることになる。想像するだけで胸が躍るというものだ。
「なんだよ、随分ゴキゲンみてぇじゃねーか」
淹れたてのコーヒーの香りと共に、獅子神が現れる。時間切れだ。しかし思考は終わったので問題ない。
獅子神はニヤニヤと笑ったままコーヒーと茶請けのクッキーが乗ったトレイをテーブルに置いて、斜向かいの椅子を引いた。
「フフ、どうしてだと思う?」
「あ?」
私の普段ならしない発言に、碧い瞳がこちらを見た。椅子を引いたままの半端な姿勢だが、そんなことは気にも留めず私に全神経を注いでいる。
「獅子神、こちらに座れ」
「なんだよ、うちはそういうサービスはやってねーぞ」
笑みは浮かべたままだが、常とは違う私の言動にほんの少しだけ戸惑っている。それでも素直に移動してきて、態々隣の椅子に腰かけてしまうところがこの男の可愛らしい性質だ。
「で、なんだよ?」
ああ、いつも以上にこの男が眩しく見える。興奮して瞳孔が開いてしまっているのだろう。
そうだ、この美しい男を私の好きにできるのだ。感情的に見えて実際は過剰に理性的なこの男が、形振り構わず理性を手放すところを見てみたい。理知的な碧眼を快楽に染めてやりたい。「獅子神」片手で獅子神の頬を撫でる。恐怖のサインはない。手の平を滑らせて、首裏を掴んだ。驚きはしているものの、警戒心などまるでない。私のことを微塵も疑ってない、可愛い私の男。
「? だからなん、」
引き寄せてその唇に噛みついた――が、「は?」思わず唇を離し、目の前の恋人を凝視してしまう。当の恋人は目を瞬かせて当惑している。いや、何かの間違いだ。呆けた顔を再び強く引き寄せる。
「ししがみ、」
込められるだけ情欲を込めて呼びかけ、再び噛みつく。抵抗はない。けれど、困惑の色だけが強くなる。性欲は全てその困惑が塗りつぶした。なんてこと!
――マヌケ、マヌケ、クソマヌケ!
この男、私に性欲を向けられることに驚いている!
薄く開かれていた唇から舌を差し入れ、性感帯を刺激する。びくりと跳ねる体をさらに引き付けて、自由なもう一方の指先で形の良い耳を撫で擦る。
駄目だ。全く話にならない。行儀良く閉じられた瞼は性的な快感に震えているのに、確かに性感は高められているはずなのに、戸惑いも混乱も少しも薄まりはしない。流されない。
私からのスキンシップは確かに少なかった。深いキスを仕掛けたこともない。けれどそれはこの男を怯えさせないため。それがどうして私が性愛を抱いていないという結論に辿り着く? プラトニックな関係でいたいのならばそう明言する。私がそういう人種だと知っているくせに、なにが! どうして! その結論になったのだ!
このまま続けても仕方がないので唇を離し、脱力して逃がしてやる。
獅子神の瞼がそろりと持ち上がり、涙に濡れた瞳と目が合った。そこで、はたと気付く。獅子神は、戸惑ってはいても嫌がってはいない。屈辱も悔しさも感じていない。むしろ、期待しているのだ。私に暴かれることを。そうか。
――獅子神にとってもまた、どちらでも良いに違いない。
トップであろうとボトムであろうと、この男はどちらでも構わないと思っているのだ。決断に時間がかかったのは恐れを感じたからだけではなく、単純に希望するポジションがなかったから。
自らが抱く側≠ノなろうという決断は、私が獅子神に肉欲を抱かないという前提で消去法的に選ばれた妥協案に過ぎないのだ。
ぜいぜいと呼吸を整えていた獅子神は、ようやく置かれた状況を理解し、じろりと涙目でこちらを睨んでくる。良いようにされて悔しい、というポーズだ。フリなのでむしろ可愛らしい照れ隠しにしか見えない。
「はっ…お前、」
「何を新調した?」
そう問えば、意味を理解した獅子神が眉間に皺を寄せた。こちらに向けていた半身をテーブル正面に向け直し、鼻を鳴らす。
「…お見通しかよ」
「お見通しだ」
すべて。何もかも。――そう続けたい気持ちを耐える。そうだ、教えてやるのは今じゃなくていい。
私からどうにかせずとも、数時間後にはこの男自身の行動で事態は進展するのだ。その時にじっくり教えてやればいい。
私の欲で浸して、溺れるように喘がせてやりたい。ベッドの上で暴いて暴いて、暴き切ってやりたい。自分だけが見ることが出来るこの男を見尽くしたい。
そういう、私が抱いている欲も全て教えてやればいいのだ。もう二度とマヌケな考えが浮かばないように。
「そうだ獅子神」
「なんだよ」
獅子神はむっすりとした顔のまま、ちろりと私を横目で見てくる。その頬はまだほんのりと赤く染まったまま。
「あなた、私が一番見たい≠ニ思うものを当ててみろ」
獅子神は何度か瞬きして、テーブルの上に乗った三枚のDVDを見た。三つの中から相手の選んだものを当てるゲーム。即興の遊びとしては悪くない。そう思ったのだろう、にんまりと笑った。
「ハ、いいぜ」
マヌケな男だ。選択肢が三つだなんて、一言だって言ってはいないのに。真剣にこちらを探り始める視線に笑いをこらえる。選択肢を絞った時点で絶対に当たるわけがない。
私が今一番見たいのは、私の下で喘ぐあなたなのだから。