【魚ではないらしい】
晴れて村雨と恋人という関係に納まり、早数週間。
特別仲が良い友人≠フ頃からほぼ恋人然とした距離感だったためか、実のところ関係性はあまり変わっていなかった。
しかしそれに落胆はない。
オレ達はオレ達のペースで関係を作っていけばいいし、そもそも目指すべきゴールがあるわけでもないのだ。
オレが村雨のことに積極的に関わることが出来て、口出すことが出来て、好意を注げば受け入れられる。そして逆もまた然り。そんな関係に納まることが出来ただけで重畳。
――つまり、オレは現状に不満はない。どころか満足でさえある。
だが、村雨は違うらしい。
「あなた、釣った魚に餌をやらないつもりか?」
寝支度を整え、寝ようとしたところへ訪れた村雨にあれよあれよと組み敷かれ、長いキスを交わし、スウェットのズボンに手を掛けられ、その手を慌てて掴んだ結果、大きな溜め息とともに吐き出された台詞である。
というか何故ここに? ほぼ私室と化したゲストルームがあるだろうが。
そこまで考えたところで再び溜め息を吐かれた。それも特大のやつだ。
「マヌケ。あなたは何度恋人に一人寝を強いれば気が済む? 最初こそ時間も必要だろうと思ったが、これ以上は最早拷問だ」
言いながらズボンに掛けられた手が離れたので、こちらも掴んだその手を放す。
「……狭いだろ、二人じゃ」
「もっとマシな言い訳をしろ」
そりゃあそう。ベッドはキングサイズ。狭いはずがない。
「とりあえず、ちょい離れてくれねぇ?」
ビキリ。村雨の額に青筋が増えた。数多の感情を抱いているようだが、どうやら一番大きいのは怒りらしい。参った。どう宥めたものか。
村雨は身を起こし、「ぐえ、」オレの腹に腰を降ろした。
「オイ、重いって」
「フフ、これは飾りか?」
「っ、」
村雨の細い指先が腹を擽る。その動きがどうにも扇情的だったため、再び慌てて捕まえた。両手共だ。自由にさせておくのは危険過ぎる。
「擽ってぇだろうが」
「それだけか?」
食い気味に被せられた。「獅子神」見開かれた瞳の奥、開いた瞳孔のもっと先に、ぎらぎらと何かが煌めいている。「それだけか?」直視し続けられずに顔を逸らすと、ぎしりと捕まえている手が力んだ。
自由にさせていたら顎でも掴まれていただろう。捕まえておいて正解だった。
「うるせぇな」
「あなたは苦労して私を手に入れたのに、」
ふぅ、とまた溜め息。ただし、特別わざとらしく。しかもたっぷりと色気を含ませて零された。
良い予感はしない。
「手に入れたらどうでも良いというわけか」
掛けられていた体重がほんの少し軽減される。腰を浮かせたのだ。
村雨はそのまま僅かに後ろへと腰を滑らせ、ちょうどオレの骨盤の上へ下ろし直す。
「悪い男だな」
「あっ?」
村雨の腰が揺れ、オレのあらぬ所を刺激し始めた。
「やめ、っ、やめろって…!」
当然、刺激されれば反応する。その上物理的な刺激だけではなく、馬乗りで腰を揺らめかせながら舌なめずりする恋人、という強烈な視覚的刺激まで浴びせられているのだから、過剰なまでに反応するのも仕方のないことであろう。
「擽ったいか?」
「…や、……っ」
触れあっているせいで、互いの一物が芯を持ち始めているのがありありと分かった。そしてそれに反して、理性が芯を失っていくことも。
兎にも角にも、まずは刺激から逃れなければ。
「ッあ、…こ、のっ……」
しかしこの男、こちらの逃れる動きがむしろ強い刺激になるよう上手いこと仕組んでくるのである。こんなところで観察眼を活かすな。
「はぁ、…ッふ、っ、は…」
止まぬ刺激に息が弾み、足先がシーツを蹴り、背中が緩く仰け反る。
「んぁ…あ、あっ」
「ハ、あなたは、…ふ、擽ったいと、喘ぐのだな」
「…ば、ゥ…てめっ…ァッ、あっ」
「…ン…、フフ、覚えておこう」
オメーも喘いでるだろうが! そう言ってやりたいが、その興奮しきった様子にこちらも一段と煽られてしまう始末。
完全に――認めたくはないが――与えられる快楽によって頭がバカになり始めている。
徐に、捕まえたままの両手がゆるゆると振られ始めた。拘束から逃れようとしているのだ。
駄目だ、このままでは流されてしまう。
「〜〜っ、だーっ!」
抜け切っていた力をやっとの思いで掻き集め、勢いよく起き上がる。その勢いのまま力を横方向へ流し、ぐるりと村雨を転がした。
「やめろって、はぁっ、言ってん、だろーがっ!」
遠心力のせいか大の字に転がった村雨の眼鏡がズレている。大して動じてなさそうな男は、澄ました顔で眼鏡と呼吸を整え口を開いた。
「訂正しよう。あなたが釣ったのは魚ではない」
「はぁ? 何だよ急に……」
この男が突拍子もないことを言うのは今に始まったことではないが、無様にすっ転がされた後で発した台詞だと思うと、滑稽過ぎて一層気が抜けてしまう。
「私は魚ではない。故に、律儀に餌を待たなくて良い」
「……それで、これ?」
「そう。獲物を狩りにきた」
獲物、と言いながらこちらを見た緋色の瞳は、なるほど確かに水槽で飼われる魚のそれではない。
けれども、こちらだって獲物ではないのだ。
己が狩る側だと思っているのなら、その間違いを正してやらねばなるまい。
「ははっ」
村雨の顔を挟んで両手をつき、半身覆い被さった。
そんな状況でも件の男は眉一つ動かさず涼しい顔を保っている。だが余裕があるのも今の内。これから喘ぐことになるのはこの男の方なのだから。
「今の状況だと、完全にオメーが獲物だな」
オレの影に容易く覆われてしまった村雨が、ぱちりぱちりと瞬いた。この状況に今まで何の反応も見せなかった男が、オレの言葉に驚いている。
……いや、何に?
「まさかあなた、自分が抱く側だと思っているのか? この期に及んで?」
「はあ?」
それはそうだ。こんなデカい男、好んで抱きたい人間はいまい。
だがそうでなかったとしたって、追っていたのはオレの方なのだ。一方で村雨は捕まってしまった側。当然欲が深いのもオレの方に違いない。
一層強く求めている方がトップ側となるのは自然な流れだろう。
何より、この男が喘ぐところを見てみたい。とても。
紅潮した頬で苦し気に呼吸するこの男を――「マヌケ」「痛、」想像したところでびしりと額を突かれた。地味に痛い。
「妙な想像をするな」
「未来予想だろ」
「妙な妄想はやめろ」
突かれたままの指が更に額をぐりぐりと押してきたので、「いでで」思わず声を上げる。
そうして、恋人はそんなオレに本日何度目かの溜め息を零し、「わかった。こうしよう」呆れた声で続けた。
「相手を骨抜きに出来た方がトップ。された方がボトムだ」
――それは事実上の敗北宣言では?
「どうだ?」
何か企んでいる? しかしこの男がそういった色事に慣れているとは思えない。つまり今回も、アドバンテージはオレにある。
「いいぜ。吠え面かくなよ」
「……あなた、チョロい、と言われたことは?」
余裕があるのも今の内だ。お前はこれから夜通し喘ぐことになるのだから。
細い顎先をそっと掴んだ。言葉で教えてやらない代わりに、これから体に教えてやるとしよう。
「お喋りは終わりだろ? 先生」
言いながら薄い唇に噛みついた。